• Glen Denny よく冷えたシャルドネを
    TRIP / PEOPLE / BOOK
    2022年10月10日、伝説的な写真家が、この世を去った。
    名前はグレン・デニー。1960年代のカリフォルニア、ヨセミテ渓谷の
    若きクライマー達の姿をモノクロフィルムに収めた。
    その集大成である写真集『Yosemite In The Sixties』は不朽の一冊だ。
    彼は83歳の人生の中で、10日間、日本で過ごした。
    その日々を『OFF SEASON』編集長が追憶する。
    On October 10, 2022, a legendary photographer passed away.
    His name is Glen Denny.
    He took black and white photographs of young climbers
    in Yosemite Valley in California in the 1960s.
    The culmination of his work”Yosemite In The Sixties
    “ is a timeless collection of photographs.
    He spent ten days in Japan during his 83 years of life.
    The editor-in-chief of OFF SEASON recalls those days.

    Glen Denny

    よく冷えたシャルドネを

    佐野崇◎文 Glen Denny◎写真

     夏の始まりの一日、僕は京都の路上を歩いていた。スタジオでの取材を終えて、宿に向かっていた。本来ならタクシーに乗るべき距離だろうが、歩きたい気分だった。夕暮れの空気には、季節と季節の間だけに味わえる、やわらかい心地よさがあった。堀川通を北へ向かう。二条城近くの交差点で赤信号を見つめている時、あの写真家と過ごした時間がよぎった。そう、この横断歩道だ。今から8年前、ちょうど同じ季節だった。

     グレン・デニーの写真集を目にした時の衝撃は今でもはっきりと覚えている。1960年代、カリフォルニア、ヨセミテ渓谷。クライミングに情熱を燃やす若者達。歯を食いしばり、汗と砂礫にまみれ、岩の隙間に爪を食い込ませ、岩壁にはりつく。標高千何百メートルという生と死が表裏する世界。だが、そこには悲壮感はない。誰かと競い合ったり、何かの記録を打ちたてようとするわけでもない。ただ、頂きを目指す。

    1960年代、ヨセミテ渓谷は若いクライマー達を磁石のように引き寄せた。1964

     当時、ヨセミテはロッククライミングの世界の中心だった。日々、新しい挑戦が、そこにはあった。前人未到の登攀(とうはん)ルートが開拓され、その技術と経験をもとに北米の山々の頂に若者達の手が続々とかけられていった。彼らのベースとなったのが、ヨセミテの「キャンプ4」だ。そこは純粋さと自由に満ちていた。当時、アメリカは第二次世界大戦後の繁栄を謳歌していたが、その黄金期にも翳りがみえていた。世の中の流れを敏感に感じ取っていたのが若者達だった。旧来の価値観やルールに異を唱えるカウンタカルチャーの萌芽、ビートニクの誕生だ。1960年代末、より反体制の純度が増して世界に爆発的に広がったヒッピー・ムーブメントの種子だ。だが、ビート・ジェネレーションは、物質主義の否定という精神は同一ながらも社会から距離を置き、自らが熱狂できることに身を投じることが許された。時代に余裕があったのだ。その象徴ともいえるのが、「キャンプ4」だった。

     1958年、グレン・デニーは初めてをヨセミテを訪れた。そこで「エル・キャピタン」(世界最大の花崗岩の一枚岩。標高約1000m)への初登攀を目撃した。双眼鏡をのぞくと小さな人間が壮大な壁に挑んでいた。「私は正しい場所にきたと、すぐに直感した」とデニーは後に語っている。その後、大学を中退して、この「キャンプ4」に飛び込んだ。そして、仲間達が山へかける日々を白黒フィルムに収め続けた。その集大成が2007年、50年近い時を経て出版した写真集『Yosemite In The Sixties』だ。その時、そこにいるから、撮れる写真。仲間だから、撮れる写真。そして、同じ情熱を持っているから、撮れる写真。

    ロストアローを登攀(とうはん)する二人のクライマー。1962

     この写真集と出合った当時、僕は仲間とともに鎌倉で『OFF SEASON』のギャラリーを運営していた。どうにかして、グレン・デニーの写真を展示できないか。本人にダメもとでコンタクトしたところ、意外にも「OK」の返事をもらえた。そして、パタゴニアの協力により(創業者のイヴォン・シュイナードは『キャンプ4』のクライマー仲間だった)、デニー本人を招いて鎌倉・東京・京都でスライドショーを行うという大きなプロジェクトになった。デニーは初の来日、本人のギャラリートークが聞けるまたとない機会になったのだ。

     グレン・デニーを羽田空港のホテルに迎えに行くと、約束の時間のずいぶん前にもかかわらず、ロビーに立っていた。白髪であご髭をたくわえ、細い縁の眼鏡をかけ、その知的で物静かな物腰は、写真家やクライマーというよりもUCLAで哲学でも教えているような知的さを感じさせた。「Glen Denny」という紙を両手に掲げているのが、少々、滑稽だったが、生命を賭けるクライマーとしての慎重さなのかと妙に感心もした。さすがに芯の強さがある巨躯だったが、片足を少しひきずっていた。デニーのキャリアを振り返ると、若くして写真もクライミングもやめて違う道に進んでいる。これが原因なのかもしれないと、思った。

    登攀を計画しているCAMP4の仲間達。1969

     羽田空港から鎌倉まで、1時間半ほどのドライブだが、言葉を交わしたのは片手に満たなかった。長旅で疲れているのか、初めての旅先にナーバスになっているのか、生来寡黙なのか。それとも僕の英会話の能力の乏しさに呆れているのか、いずれにしても車内は沈黙が支配し、この先10日間、デニーとともに旅をすることを想像すると、正直、気が重かった。だが、いざスライドショーの本番になると、自分の作品を解説する言葉は、適切かつていねいで、ギャラリーからの質問に対する答えも、本当に教授が学生に諭すように的確だった。そんなデニーとの距離が縮まったのは、一枚のメモがきっかけだった。

     デニーはシャツのポケットに二つ折りのメモ用紙をしのばせていた。日本でやりたいことを書いた、いわゆるウィッシュリストだ。リストの上の方には奥さんのマーガレットおすすめの日本の食、「Kobe Beef」、「Ramen」等が。下にはデニーが京都で訪れたい場所がメモされていた。目を引いたのは「Daitoku-ji」——大徳寺だった。京都でも指折りの古刹ではあるが、金閣寺や清水寺のように人気の観光スポットとはいえない。もしやと思いデニーにたずねた。禅に興味があるのか。答えは「イエス」だった。大徳寺は臨済宗大徳寺派の本山で、一休宗純などを輩出してきた有数な在野の禅寺だ。僕も鎌倉にある同宗の禅寺へ坐禅を組みに通っていたことがある。親子以上の世代が離れバックグラウンドも異なる二人に共通の話題が見つかった。それから酒を酌み交わしながら、親しく話をするようになった。

    Tis-sa-ackを初登攀した直後のRoyal Robbinsロイヤル・ロビンズ。写真集『Yosemite In The Sixties』の表紙となった。1969

     「白ワインを。よく冷えたシャルドネを」。デニーのお気に入りだ。決まって二人の間にはシャルドネのボトルがあった。スライドショーの暗闇にまぎれてスクリーンの脇に座っているデニーに、カリフォルニア産のシャルドネを一本そっと置いた時の笑顔は、日本で見せた数少ない笑顔の中で最高のものだった。ともかく、ワイングラスを片手に機会があれば禅について話をするようになった。だが、すぐにデニーの知識の深さに驚き、圧倒された。せっかくだから日本人にとって禅とは何か説明しよう、と浅薄に考えていた自分が恥ずかしくて、ただ杯を重ねるしかなかった。

     ああ、そうか。デニーがある名前を口にして、すべてがつながった。ゲイリー・スナイダー。ビート・ジェネレーションの申し子ともいうべき詩人だ。『ON THE ROAD(「旅上」)』でビートニクのアイコンとなった作家ジャック・ケルアックの『The Dharma Bums(「ジェフィ・ライダー物語」改題後「禅ヒッピー」)』の登場人物ジェフィのモデルだ。当時、ビート・ムーブメントの中心だったサンフランシスコでは、禅や東洋思想がトレンドだった。その受け皿は、カウンターカルチャーの担い手である若い世代だった。ケルアックは自分でも認めるところだが、禅をある種のファッションとして捉えていた。だが、スナイダーは筋金入りだった。1950年代半ばから10年以上にわたり、その多くの時間を相国寺や大徳寺で禅との対峙に費やした。禅はスナイダーの自然への原点回帰の思いをより強くした(ヨセミテでトレイル・クルーとして働いたこともある)。結果、ビート・ムーブメントは、文明社会の象徴である街の路上から、人の手で荒らされていない山々や森林へと舞台を移していった。ビート・ジェネレーションのクライマー達が、ヨセミテへ磁力に引きつかられるように集まった一因であるだろう。青年期のグレン・デニーもその一人だったのだ。

    大徳寺を訪れたデニー。ビートニクス詩人ゲイリー・スナイダーは、この寺の禅僧・小田雪窓を師として長年仰いだ。2015

     あれは大徳寺からの帰りだった。そう、この横断歩道だ。デニーと僕は歩道の信号が青に変わるのを待っていた。夕暮れ時、8車線の車道には、それなりにクルマが走っていた。「JAY WALKって知っているか」。突然、デニーが口にした。「えっ」。脈略もなしに、デニーが言葉を発するのは初めてだった。「知らない」と答えると、デニーはそれまでに見せたことがない静かな笑みを浮かべた。「赤信号を無視して、道を渡ることだ」。真意は何だったのだろう。信号を無視して、目前の道路を渡りたいという欲求にかられたのか。自分の半生への何がしらかの思いか。若輩たる僕への教訓か。それとも、念願の大徳寺を訪れた気分の高まりで、禅問答の一つでもしてみたかったのか……。その時の僕は、うなずくしかなかった。

     そして、今、同じ交差点を渡ろうとして、あの時の記憶がよみがえった。だが、渡りきっても、やはり答えは見つからなかった。もう一度と振り返ったがやめた。その答えを知っている男はもういないのだから。ただ、思った。グレン・デニーの月命日も近い。あの写真集と向き合って献杯しよう。よく冷えたシャルドネとともに。

    1939年、カリフォルニア州モデスト生まれ。享年83才。グレン・デニーの写真は永遠に色あせることはない。なぜなら、あの時、あの瞬間を写すことはもうできないのだから

    さの・たかし
    文筆家・編集者。2012年、タブロイドマガジン『OFF SEASON』を創刊。現在、ウェブ版『OFF SEASON』の編集しながら、雑誌、ウェブコンテンツを中心に活動する

    Glen Denny

    Can I have a well-chilled Chardonnay?

    Text: Takashi Sano Photos: Glen Denny

    On a day at the beginning of summer, I was walking on the streets of Kyoto. I had just finished an interview at the studio. I was on my way to the hotel. Since it was a little far from it, taking a taxi could be an option. But I was in the mood to walk that day. There was a soft comfort in the evening air between seasons. I was heading north on Horikawa-dori Street. As I stared at the red light at the intersection near Nijo-jo Castle, I remembered the days I had spent with that photographer by chance. Yes, this was the sidewalk. It was exactly the same season eight years ago.

    I still clearly remember the impact I felt when I saw Glen Denny's photo book: Yosemite Valley, California, 1960s. Young people with a passion for climbing. Covered with sweat, sand, and gravel, they clung to the rock wall. They gritted their teeth and clawed into the crevices of the rock. At an altitude of several hundred meters, life and death are two sides of the same coin. But there was nothing tragic about that. They were not competing with anyone or trying to set any records. They were only aiming for the top.

    In the 1960s, Yosemite Valley attracted young climbers like a magnet. 1964

    In those days, Yosemite was the center of the rock-climbing world. Every day there were new challenges. Young people with the skills and experiences explored unprecedented routes. They tried to climb to the tops of North American mountains one after another. Their base camp was Camp 4 in Yosemite, a place of purity and freedom. The United States was enjoying its post-World War II prosperity then, but even that golden age was fading. Young people were keenly aware of the trends in the world. It was the birth of Beatniks, a budding counterculture that challenged the old values and rules. It was a seed of the hippie movement that exploded all over the world at the end of the 1960s with a more anti-establishment purity. However, the Beat Generation, while maintaining the same spirit of rejecting materialism, was allowed to distance itself from society and throw itself into what it could be enthusiastic about. There was plenty of room in the times. The symbol of this was Camp 4.

    In 1958, Glen Denny visited Yosemite for the first time. He witnessed the first ascent to El Capitan (the world's largest granite monolith, about 1,000 meters high). He looked through his binoculars and saw a little human being tackling the magnificent wall. He later said, "I had an immediate hunch that I had come to the right place." He then dropped out of college and jumped into this Camp 4. He continued to capture in black-and-white photography the days his friends spent in the mountains. The culmination of these efforts was published in 2007, nearly 50 years later, in a book titled “Yosemite In The Sixties”. He could take these photographs since he was there at that moment, he was one of the buddies, and he shared the same passion.

    Two climbers climbing up the Lost Arrow 1962

    When I came across this photo book, I was running the OFF SEASON Gallery in Kamakura with my buddies. I was wondering if somehow, we could have a photo exhibit of Glen Denny. I contacted him directly without any expectations. Surprisingly, he replied that he was willing to do it! Then, with the cooperation of Patagonia, it became a big project to invite Glen Denny himself to hold slide shows in Kamakura, Tokyo, and Kyoto. (The founder of Patagonia, Yvon Chouinard, was a rock-climbing buddy of Camp 4) It was his first visit to Japan. It was a golden opportunity to hear him give a gallery talk.

    When I picked up Glen at his hotel at Haneda Airport, he was standing in the lobby long before the appointed time. With his gray hair, beard, and thin-rimmed eyeglasses, his intellectual and quiet demeanor seemed more like he was teaching philosophy at UCLA than a photographer or climber. It was a little funny to see him holding up a piece of paper with the words "Glen Denny" in both hands, but I was also strangely impressed with his discretion as a climber who was risking his life. He was a man of great frame with guts. He was limping a little on one leg. Looking back on his career, he quit photography and climbing at a young age and went down a different path. I wondered if this might be the reason.

    CAMP4 friends planning to climb,1969

    It was an hour-and-a-half drive from Haneda Airport to Kamakura, but we exchanged less than five sentences. Was he tired from a long trip? Was he nervous about his first trip to Japan? Was he naturally reticent? Or was he disappointed with my poor English? In any case, silence prevailed in the car, and I had to admit that it was a bit daunting to imagine traveling with him for the next ten days. However, when it came time for the slide show, his explanations of his work were appropriate and precise, and his answers to questions from the visitors were also as precise as a professor's admonition to his students. It was a single note that brought me closer to Glen.

    He had a folded piece of notepaper in his shirt pocket. It was a wish list of things he wanted to do in Japan. At the top of the list were his wife Margaret's recommendations for Japanese food, such as Kobe Beef and Ramen. At the bottom of the list were the places he would like to visit in Kyoto. The one that caught my eye was Daitoku-ji Temple. Daitoku-ji Temple is one of the oldest temples in Kyoto, but it is not a popular tourist spot like Kinkaku-ji Temple or Kiyomizu-Dera Temple. I asked him if he was interested in Zen. The answer was “Yes.” Daitoku-ji Temple is the head temple of the Daitoku-ji School of the Rinzai sect of Zen Buddhism and is one of the most famous Zen temples in Japan, having produced such famous Zen masters as Ikkyu Sojun. I once went to a Zen temple of the same sect in Kamakura for zazen meditation. Two people from different generations, more than parents and children, and different background found common ground. We began to talk intimately over drinks.

    Royal Robbins, shortly after the first ascent of Tis-sa-ack, This photo was the cover of the photo book “Yosemite In The Sixties”.

    "Can I have some white wine? A well-chilled Chardonnay." It was his favorite. There was always a bottle of Chardonnay between us. When I gently placed a bottle of California Chardonnay next to Glenn, who was sitting by the screen in the darkness of the slide show, he showed me the best smile among the few smiles I've ever seen in Japan. Anyway, we began to talk about Zen whenever we had the chance with some glasses of wine. But I was soon surprised and overwhelmed by the depth of his knowledge about Zen. I was embarrassed that I thought I could explain to him what Zen meant to the Japanese. All I could do was keep on drinking wine.

    Oh, yeah. Gary Snyder. When Glen mentioned his name, everything turned out to be connected. Gary Snyder was a poet, who could be the product of the Beat Generation. He was the model for the character Jeffie in The Dharma Bums written by Jack Kerouac, who became a beatnik icon with On the Road. In those days, Zen and Eastern thought were trending in San Francisco, the center of the Beat movement. The takers were the younger generation, the supporters of the counterculture. Kerouac recognized himself that he grasped Zen as a kind of fashion. Gary Snyder, however, was hardcore. From the mid-1950s, for more than a decade, he spent much of his time confronting Zen at Shokoku-ji Temple and Daitoku-ji Temple. Zen reinforced his desire of going back to the starting point in nature (he had worked as a trail crew member in Yosemite). As a result, the Beat movement moved from the streets of the city, the symbol of civilized society, to the mountains and forests undisturbed by human hands. It was probably one of the reasons why the Beat Generation climbers were magnetically drawn to Yosemite. As a young man, Glen Denny was one of them.

    Denny visited Daitoku-ji Temple. Beatnik poet Gary Snyder looked up to Oda Sesso, a Zen monk at this temple, as his teacher for many years. 2015

    That was on the way back from Daitoku-ji Temple. Yes, this was the crosswalk. Glen and I were waiting for the light on the sidewalk to turn green. It was dusk. There were a good number of cars on the eight-lane roadway. "Do you know JAY WALK?" Suddenly, he asked me. What? It was the first time he had spoken without any context. "I don't know," I replied, and he smiled a quiet smile he had never shown before. "It means to ignore a red light and cross the street." What did he want to tell me? Was it just the desire to cross the road, ignoring the traffic lights? Was it some reflection on his own life? Was it a lesson to me, a young and inexperienced person? Or was it the heightened feeling of having visited Daitoku-ji Temple, which he had longed to see? And did he want to ask me one of his Zen questions? All I could do at that time was nod.

    As I was about to cross the same intersection, the memory of that time was back. When I crossed the street, I still could not find the answer. I looked back one more time, but I gave up. The man who knew the answer was gone. The monthly anniversary of his death is coming up.  I shall raise a glass of wine to the memory of the late Glen Denny as I look at that photo book again. A glass of well-chilled Chardonnay.

    Glen Denny was born in Modesto, California in 1939, died at the age of 83. Glenn Denny's photographs will never fade because it is no longer possible to capture that moment in time.

    Profile: Takashi Sano
    He launched the tabloid magazine OFF SEASON in 2012. He currently edits the web edition of OFF SEASON while focusing on magazines and web content.

  • Kawa
    SKATE / BOOK
    日本全国のスケーターを独自の視点で撮り下ろす、
    デュオフォトグラファー「川」。
    彼らが手がける紙媒体『川』は、
    今のリアルな日本のスケートシーンを
    伝える貴重な存在となっている。
    その内容はスケートボードのように自由な発想に満ちて、
    読者の心を躍らせる。
    『川』の編集者が、その魅力を語る。
    KAWA is a duo photographer who captures skaters
    from all over Japan from their unique perspectives.
    Their print publication “KAWA” archives photos and the voices of skaters.
    It is a valuable source of information about the real skate scene in Japan today.
    Its content is as free-floating as skateboarding,
    inspiring viewers other than skaters.
    The editor of “KAWA” talks about its appeal.

    Kawa

    長嶋瑞木◎文

     私が川と出会ったのは、浅草で手拭いなど売っている岡野弥生商店の店主である弥生さんに、川の新作ビデオ上映会があるということで誘っていただいたときだった。それは浅草の5656会館というなんとも言えない古くからある会館で行われていた。上映会には若者からおじいさんくらいの人まで見に来ていたのも印象的だった。みんな真剣にそのビデオを見ていて、DVDや本は売っているけど、あまり商業的ではないこんな上映会がスケーターたちの中に存在していることにびっくりしたのが最初だった。
     スケートボードに乗っていなくても、写真の専門編集者じゃなくても、川の写真には、なぜか惹き込まれるような不思議な写真が多くて、だんだん気になる存在になっていった。スケートボードについて全くの無知識である私が、路上で滑るスケートボーダーたちのかっこよさ、生々しさ、日本の風景、自然、哀愁、人間、いろんなものを川の写真から(勝手に)感じて、スケートボードの本なんて買ったことがなかったけど、川の写真集を買った。

     そこから色々、川と話ししていく中で、定期的に出版する本(雑誌)だけど、情報誌でもない、ファッション誌でもない、写真集でもない、(書店営業の際には大変だけど)型にとらわれない形の定期誌をやってみたいということで始まったのが川の本。とにかく川を表現できる本、としか言いようがなくて、“こんな本です”という説明は未だにできない。読み手が感じたことが、その本の答えになるような自由な本を目指している。だから不定期だし、今の形でずっと続くのかどうかもわからないし、それくらい型にハマらず自由に、その瞬間を捉えたものを今は紙で残している、という感覚がある。

     私が川と出会って感じたような感覚を、スケーターたちの間だけでなく、さまざまなジャンルや世代の人に届いて欲しくて、お洒落な本屋さんから街の本屋さんまで営業活動を行っていると、こんなことがおこる。スケートボードはやったことないけど、インスタをフォローしていて、写真が好きなのでいつも見てます。という若い書店員。話し始めは興味がなさそうだったけど、ページをパラパラめくっていくと、「いいじゃない」と言って注文してくれるスケートボードとは無縁のおばちゃん書店員。

     この世の中で、“伝える“方法というのは、文字が一番わかりやすく、直球で伝わりやすいと思うけど、そんな風に言葉ではあらわせないものを、写真で表現して、何かしらが伝わるということって、人間っておもしろいなぁというところに繋がるので、私は川の写真に惹かれるのかなぁと思う。
     荒川さんと関川さん。彼らのことを、客観的にも内側からも、少しだけ見させてもらえている身として言えることは、見ていれば見ているほど興味が湧いてくる2人という感じ。例えば荒川さんは、本をたくさん読んでいて、哲学とか思想の話しをしてくれることがあるのだが、荒川さんたちが撮っている自然の写真とかにも通ずるところがあったりして、当たり前なのかもしれないけど、ただただ撮っているわけではないところにさらに感動したりする。関川さんの写真には、見たことのない写真というものが多くて全く説明ができないが、言葉にならない良さがあって、天才とはこういう人のことを言うのだろうなと感じる。

     定期的に本を出す意味というか、もう1つのおもしろさは、“そのとき“が記録されていること。そのときの周りの雰囲気、世間とか世界とかだったりが、どんな感じだったかが、この本には入っている。最近思うのは、ある種のインスタレーションみたいなところもあるのかなと。ざっくりと、漠然とした伝えたいことっていうのがやはり川にはあって。入稿の数日前まで撮影にのぞんでいてこちらは焦るのだが、それがその時っぽさを出すことにもつながっているのかなと。とにかく本当にギリギリまで撮りに行っている。野生動物の写真家も相当難しい技術が必要だし撮れないこともしょっちゅうあると聞いたことがあるが、予定調和にいかない部分でいうと、近いものがあるのかもしない。

     他のどんなスポーツやコミティにも類を見ない、独特の文化で出来上がっているように感じるこのスケートボードというカルチャー。特に路上で行われているものは、その人のスタイルがあってそれが良くて、下手でも上手くても、変な滑り方でも、なんでもありで。日本の教育の中だけで何も考えずにいうことを聞いて育っていくと、こうなった方がいいという基準が決められ過ぎていて、当たり前のようにそこに向かっていたことに違和感をずっと感じて生きてきた私にとって、意外とこのストリートのスケートボードの考えは、大事なところなのではと感じている。それを勝手に教わってきたというか体感してきて今がある人たちには、同じ余裕というか余白というか。そんなものを感じるのだ。

     そしてこの本には、そんな川がピックアップするスケーターやアーティストのインタビューや寄稿が載っているのだが、スケートボードの話しから全く関係ない話しまで、人それぞれ。だれども、どれも読みごたえのあるものとなっているので、スケートボードに関係のない方々にもぜひ手にとっていただき、川の作品を楽しんでいただきたい。

    川4 ◯ 販売はこちらから

    かわ
    
2016年、2人のフォトグラファー荒川晋作と関川徳之により始まったプロジェクト。日本全国を旅し出会ったスケーターや風景を一冊にまとめてリリース。特集や連載などの文章も充実し、現在の日本のリアルかつコアなスケートシーンにフォーカスした媒体でもある。2022年、4冊目となる『川4 〇』をオークラ出版からリリースした

    ながしま・みずき
    1989年生まれ。オークラ出版、編集部。小さい総合出版社で、ジャンルを絞らず“おもしろい”人たちに声をかけて本づくりをしている。絵本や写真集など幅広く担当している

    Kawa

    Text: Mizuki Nagashima

    My first encounter with KAWA was when Yayoi-san, owner of Okano Yayoi Shoten, a store selling souvenirs of Yoshiwara and other goods in Asakusa, invited me to a screening of a new video by KAWA. It was held at 5656 Kaikan, an indescribably old hall in Asakusa. I was also impressed by the number of people showing up to watch the screening. They were young and old and watching the video so seriouly. I was surprised at the fact that such a less commercial screening existed among skaters, even though DVDs and books were sold.

    Even if I wasn't a skateboarder or an editor specializing in photography, I became more interested in the KAWA's photographs because they had a mysterious quality that somehow drew me in. I was perfectly ignorant about skateboarding and had never bought skateboarding books before. But I bought a book of KAWA because I (selfishly) felt the coolness and vividness of skateboarders on the street, the landscape, nature, sorrow, people, and many other things of Japan from their photos.

    As we talked with KAWA, we concluded that we wanted to publish a book (magazine) regularly. But not an information magazine, not a fashion magazine, not a photo book, but an unconventional type of periodical magazine (which would be difficult to sell at bookstores), and that is how the KAWA book started. Anyway, I can only say that it is a book that can express KAWA, and I still can't explain what it is like exactly. I aim to create a free book in which what the reader feels is the answer to the book's question. So, it is irregular, and I don't know if it will continue in its current form. I only feel that I am now leaving behind on paper what I captured at that moment freely and unconventionally.

    I want not only skaters but also people of various genres and generations to have the same feeling I had when I first encountered KAWA. Therefore, when I do sales promotions for some fashionable bookstores or local bookstores, things like this would happen. I met a young bookstore staff who said, “I’ve never done skateboarding, but I always check the photos on your Instagram, which are my favorite.” I met an old bookstore staff who seemed not interested in skateboarding and said at the beginning,” Looks like fun!” after she flipped through some pages. She ordered the book after all.

    In this world, I think that the written word is the easiest and most direct way to communicate. Interestingly, something that cannot be expressed in words can be conveyed through photography. It leads to the point that humans are full of interest. That’s why I think I am attracted to KAWA photography.

    Mr. Arakawa and Mr. Sekikawa. As a person who has been allowed to see a bit of them, both objectively and from the inside, I can say that the more I watch them, the more I am interested in these two people. For example, Mr. Arakawa has read many philosophy books and sometimes tells me about philosophy and ideology. It is similar to the nature photos taken by Mr. Arakawa and his team. Maybe it's obvious, but I'm even more impressed by what they are not just photographing the subject. There are many of Mr. Sekikawa's photographs that I have never seen before. So that I cannot explain them at all, but they have a quality that cannot be put into words, and I feel that this is the kind of person who is a genius.

    The meaning, or rather, amusing aspect of publishing a book on a regular basis is that it is a record of "that time." This book contains how the atmosphere, the world, and the society around us at that time looked. Recently, I have thought the book is like a kind of installation. I’ve found a rough and vague idea in KAWA, which is what I wanted to convey. I felt pressed when they kept taking pictures until a few days before the deadline, but I think this also helped to bring out a sense of the moment. They always go out to take pictures until the very last minute. I have heard that wildlife photographers also need a lot of skill and often fail to take photos for the day they have to submit them. They may be similar to those photographers.

    Skateboard culture, which I feel it's made up of a unique one unparalleled in any other sport or comity. Especially when skateboarders do on the street, people have their style, which is good, no matter how they are bad at, or good at, or a weird way of skating, anything goes. If you grow up listening to what you are told without thinking, there are too many set standards that you should be like this. That’s how I grew up in this Japanese education system. I have lived my whole life feeling uncomfortable with the fact that I was heading there as a matter of course. So I feel this idea of street skateboarding is more valuable than we thought. Those who have been taught or experienced this idea have the same confidence or generosity. I feel that kind of thing.

    The book contains interviews and contributions from skaters and artists that KAWA picks up, ranging from skateboarding stories to unrelated topics. All of them are worth reading, so even if you are not involved in skateboarding, please try to open the book and enjoy Kawa's work.

    川4 ◯ 販売はこちらから

    Kawa
    This project was started in 2016 by two photographers, Shinsaku Arakawa and Tokuyuki Sekikawa. They traveled all over Japan and released a book of skaters and landscapes they encountered. In 2022, the fourth book, "Kawa 4 ‾" was released by Okura Publishing.

    Mizuki Nagashima
    Born in 1989. Editorial department, Okura Publishing Co., she is making books by calling on people who are "interesting" without narrowing down the genre for a small general publisher. She is in charge of a wide range of books, including picture books and photo collections. 

  • Shelter 森の中に小さな家を作る。
    BOOK
    1970年代、自然回帰を指向するヒッピー達に
    カリスマ的な人気を誇った本がある。
    人間の生活の豊かさとは何かを問う一冊だ。
    In the 1970s, to be a hippi & to be one with nature was all the rage……
    One charismatic book described everything.
    What is the way to achieve a rich & fulfilling life?
    This book covers it all.

    Shelter

    森の中に小さな家を作る。

    OFF SEASON◎文

    1960年代から'70年代前半にかけて、ヒッピームーブメントが世界中の若者達によって巻き起った。その震源地はアメリカ西海岸だった。この社会的現象が生まれた理由を、一つの文脈の中で説明するのは難しい。アメリカの黄金期と呼ばれていた 1950年代を過ぎると、さまざまな問題が一気に表層化した。貧富の拡大、政情不安、公民権運動、ベトナム戦争……。そのような負の要因が圧縮され、爆発したのが、ヒッピームーブメントと言えよう。その根底にあるのは、既存の体制と価値観に対する反動だった。「ラブ&ピース」という言葉のもと、ミュージシャンやアーティストを巻き込みつつ、さまざまなカウンターカルチャーが誕生した。

     現在の「ヒッピー」という言葉には、カルチャー、いやファッションと言ってもいい表層的なイメージが色濃い。実際、当時のヒッピーの中でも、どの程度の若者がその本質を理解して行動していたのか疑問だ。ただ社会の因習や制度、経済や価値観に盲目的に従うことに意義を唱え、 “人間が生きる ”ということは何かということを純粋に考え、行動をした若者達がいたのも事実である。

     1973年に出版された『SHELTER』は、そんな本物のヒッピー達に支持された一冊だ。そのコンセプトは、「身の丈にあった家作り」だ。「SHELTER」は直訳すれば、「雨風を防ぐ避難所」という意味になるだろう。人間が暮らしていくために、広大で華美な家は必要なのだろうか? 豪邸を持つことが、果たして人間にとって本当に豊かなことなのだろうか? 著者のロイド・カーンは、このようなアンチテーゼのもと、さまざまな「家」の建て方を解説している。アフリカやネイティブ・アメリカン、ヨーロッパなどに古来から伝わる伝統的な家屋の実例を挙げつつ、当時のアメリカで「シェルター」的な家作りを実践して暮らしている人々を紹介している。興味深いのは、彼らの家がどれも、個性的ということだ。アメリカの南西部、ニューメキシコ州やコロラド州で撮影された家の写真は、見ているだけで楽しくなる。ツリーハウス、さまざまな材料で作られたドーム、ユルトと呼ばれる天幕、廃車になった自動車……。決して、雨風をしのぐためだけのそっけない建物ではない。シンプルで機能的ながらも、創意工夫にあふれている。そこに暮らす住人達も、実に楽しそうだ。

     この本を読んでいて想起されるのは、H.D.ソローだ。19世紀のアメリカを代表する思想家ソローは、街を捨て2年間、森の中で一人暮らした。その体験を記した『森の生活』は、時を超えて、ヒッピー達のバイブルとも呼ばれるようになった(ソローの哲学や思想に関しては、隣ページの秀逸な解説記事を読んでもらいたい)。彼は森の中で暮らすために小さな家を自分で建てるのだが、その記述が実に生き生きとして、しかも仔細にわたり具体的でおもしろい。ソロー独特の皮肉と批評を込めながらも、彼自身が家作りを楽しんでいることが行間から伝わってくる。ロイド・カーンが『森の生活』に触発されたことは想像に難くない。 『SHELTER』が、単なるコーヒーテーブルブックではなく、いかに実用に即した書を目指していたかは、巻末を読めばわかる。"ENERGY, WATER, FOOD, WASTE"と題し、太陽光を利用したウォーターヒーターや風車の活用、ゴミ処理、ガーデニング農園などの実践方法を紹介しているのだ。21世紀になってようやく気づき始めた事柄に、40年以上も前に着目していたロイド・カーンの先見性には驚く。 『SHELTER』は発売後3年間で2回重版され、18万5千冊販売された。この種の本では類をみないセールスだ。

    1973年に出版されて以来、根強い人気を誇る『SHELTER』。現在もフランス語、ドイツ語、スペイン語に翻訳され世界中で愛読されている。残念ながら日本語版は絶版だが、英語版は容易に手に入る。

    www. shelterpub.com

    Shelter

    Text◎OFF SEASON

    From the 1960s to the early 1970s, the hippie movement was sparked by young people all over the world. Its epicenter was the West Coast of the United States. It is difficult to explain the reasons for the birth of this social phenomenon within a single context. After the 1950s, which was known as the golden age of the United States, many problems began to surface. The expansion of the gap between rich and poor, political instability, the civil rights movement, and the Vietnam War ....... It can be said that the hippie movement was the result of the compression and explosion of such negative factors. It was a reaction against the existing system and values. Under the slogan "Love & Peace," various countercultures were born, involving musicians and artists.

    Today, the word "hippie" has a strong superficial image of culture, or even fashion. In fact, it is doubtful how many young hippies of the time understood the essence of the word and acted accordingly. It is true that there were young people who did not just blindly follow the customs, systems, economy and values of society, but who genuinely thought about what it meant to be human and acted accordingly.

    “SHELTER", published in 1973, was a book that was supported by such genuine hippies. The concept of the book was to "build a house that fits your size. " The literal translation of the word "shelter" would be "shelter from the wind and rain. Is it necessary to have a vast and ornate house for human beings to live in? Is owning a mansion really a rich thing for human beings? The author, Lloyd Kahn, explains various ways of building "houses" based on this antithesis. He cites examples of traditional houses from Africa, Native America, Europe, and other parts of the world, and introduces people in the U.S. at that time who were practicing and living in "shelter" style houses. What is interesting is that all of their houses are unique. The photos of the houses taken in the southwestern part of the United States, in New Mexico and Colorado, are a joy to look at. Tree houses, domes made of various materials, tents called yurts, and abandoned cars ....... They are not just simple buildings to keep out the wind and rain. They are simple and functional, yet full of ingenuity. The people who live there also seem to be enjoying themselves.

    This book reminds us of H.D. Thoreau, one of the leading American thinkers of the 19th century, who left the city and lived alone in the woods for two years. His book, "Life in the Woods," which describes his experiences, has been called the bible of the hippies over time. (For more on Thoreau's philosophy and thought, please read the excellent commentary on the next page.) He built himself a small house to live in the forest, and his description of the house is very vivid, detailed, concrete, and interesting. The book is filled with Thoreau's characteristic sarcasm and criticism, but you can feel between the lines that he himself enjoyed building the house. It is not hard to imagine that Lloyd Kahn was inspired by "Life in the Woods". You can see from the end of the book how “SHELTER” was intended to be a practical book, not just a coffee table book. "ENERGY, WATER, FOOD, WASTE" is the title of the book, and it introduces practices such as using solar-powered water heaters and windmills, waste disposal, and gardening farms. I am amazed at the foresight of Lloyd Kahn, who paid attention more than 40 years ago to matters that we have only begun to notice in the 21st century.

    In the three years since its release, “SHELTER” has been reprinted twice, selling 185,000 copies. That's unprecedented sales for a book of its kind.

  • Michio Hoshino 星野道夫
    PEOPLE / BOOK
    極北の大地を愛した星野道夫。
    悲劇の死を遂げてから、時を経た現在も、
    その作品は多くのファンに愛され続けている。
    Michio Hoshino loved the far north.
    His works have been loved by many fans
    even long after his tragic death.

    Michio Hoshino

    星野道夫

    OFF SEASON◎文

     数多くの自然写真家がいる中で、星野道夫の作品がとりわけ光り輝いているのはなぜだろうか。 彼がフィルムに残した極限の地の自然、動物、人々の姿は、力強く純粋だ。しかし、どこかにほのかな温もりを感じさせる。かつて星野は『自然写真家という人生』の中で、このように述べている。「自然写真を撮るためにもっとも必要なものは何かと聞かれたら、それは対象に対する深い興味 だと思う」 写真に漂う温かさ。それは星野本人が被写体に向ける眼差しそのものではないだろうか。対象へ の興味と愛情が、作品の輝きを増しているのだろう。

     2020 年に刊行された『新版 悠久の時を旅する The Eternal Journey』のページをめくっていて、 改めてそう感じた。星野道夫という写真家の人生は多分に “ 運 ” が支配している。後に星野の代 名詞ともなるアラスカとの出合いも、運の連鎖だった。1971 年、大学の探検部に入部した星野は、 東京・神田の古本屋街で一冊の本を手にする。北方への漠然とした憧れ を抱いていた青年は、そ こに掲載され ていたエスキモーの村の写真に魅せら れた。そして、その村シシュマレフの村長宛に自分を受け入れてもらいたいと手紙を出したのだ。半年後、村長から返信が届き、3 ヵ月間にわたり滞在することになった。1978 年、アラスカ大学に入学するべく渡米。そこで出会ったさまざまな人々の影響を受けながら、自然写真家としての人生をスタートさせる。以後、アラスカを生活の基盤としながら、写真と執筆を両輪にして活躍。1996 年、カムチャツカ半島にてヒグマ の事故により、急逝。43 年間という短い人生だったが、一人の写真家の軌跡がこの一冊に刻まれ ている。

    アルペングロウ ( 山頂光 ) に染まる夕暮れのマッキンレー山 ( デナリ )

     新版は、数多くの写真とエッセイを再録した同名の写真集から8年の歳月を経て、新たに代表作と寄稿文3編が加わった。寄稿文の一つは星野道夫の息子である星野翔馬氏の著だ。星野が他界した時、わずかに1才だったが、父への思いを文に綴っている。夫人・星野直子氏が監修を務めているだけあって、その構成と内容は微に入り細を穿っている。過去、多くの作品を残している星野の業績をふかんするには、最適な一冊だ。 星野道夫の入門書としてはもちろんのこと、未発表作品も収められているので、ファンも改めて楽しめることだろう。

     また、「悠久の時を旅する 」と題した写真展が全国で巡回している。オリジナルのプリントを目にするまたとないチャンスだ。星野道夫の旅の足跡をたどってほしい。

    草むらに潜むグリズリー

    タテゴトアザラシの親子

    初霜がおりたワイルドストロベリーの葉

    星野道夫 。ロシア、チュコト半島にて。1996年

    未発表を含む写真 229 点とエッセイ 32 編を収載した同名の写真集に、新たに代表作と寄稿文 3 編が加わえて 8 年の歳月を経て新版として刊行された。定価:2750 円(税込) 出版社:クレヴィス

    Michio Hoshino

    Text:OFF SEASON

      Among the many nature photographers, why is it that Michio Hoshino's work shines so brightly? The images of nature, animals, and people in the extreme places he left on film are powerful and pure. However, there is something faintly warm about it. Hoshino once wrote in his book, A Life as a Nature Photographer.
     "If you were to ask me what is the most important thing you need for nature photography, I would say it is a deep interest in the subject.”
    There is a warmth in the photographs. It could be the very gaze that Mr. Hoshino himself had for his subjects. The interest and love for the subject matter probably add to the brilliance of the work.
     I felt that way again when I was flipping through the pages of the new edition of The Eternal Journey, published in 2020. The life of Michio Hoshino, a photographer, was probably dominated by luck. The encounter with Alaska, which would later become synonymous with Hoshino, was also a chain of luck.
    In 1971, Hoshino, who had joined the university's expedition club, picked up a book in a used bookstore in Kanda, Tokyo. The young man, who had a vague yearning for the north, was fascinated by the photos of Eskimo villages in the book. He wrote a letter to the mayor of the village of Shishmaref, asking the mayor to let him stay there. Six months later, he received a reply from the village mayor, and he was accepted to stay with them for three months. In 1978, he moved to the United States to attend the University of Alaska. Influenced by the people he met there, he began his life as a nature photographer. Since then, he had been active in photography and writing, making Alaska his base of life. In 1996, he died suddenly in a brown bear accident on the Kamchatka Peninsula. It was a short life, forty-three years. This book is full of one photographer’s journey.

    Mt. McKinley (Denali) at dusk in the alpenglow (summit light)

     The new edition is eight years after the photo book of the same title, which has reprinted many of his photographs and essays and includes new masterpieces and three contributed articles. One of the contributions was written by Shoma Hoshino, the son of Michio Hoshino. He was only one year old when Hoshino passed away, but he wrote about his feelings for his father in his sentences. As supervised by Michio’s wife, Naoko Hoshino, the structure and content of the book are very detailed. This is an excellent book to review the achievements of Hoshino, who left many works in the past. The book is not only a good introduction to Michio Hoshino but also contains unpublished works, so fans will be able to enjoy it once again. In addition, a photo exhibition titled " The Eternal Journey" is touring around Japan. This is a unique opportunity to see the prints of his original. I would like you to follow in the footsteps of Michio Hoshino's journey.

    A grizzly lurking in the grass

    A family of harp seals

    Wild strawberry leaves after the first frost

    Michio Hoshino In Chukotskiy  Poluostrov, Russia, 1996

    This book is a new edition of the photo book of the same title, which contains 229 photographs (including unpublished works) and 32 essays, published after eight years with a new representative work and three contributed articles.List price:2750 yen (including tax)Publisher: Crevis