• Track トラック
    TRIP
    写真家が思い出の一枚から、
    その裏側にある物語をたどるフォトエッセイ。
    シャッターを押した瞬間の時間と空間が
    フォトエッセイとしてよみがえる。
    今回は、宮田祐介のアジア大陸、バイクの旅。
    A photo essay in which a photographer traces
    the story behind a memorable photo.
    The time and space of the moment
    when the photographer pressed the shutter
    of his camera come back to life as a photo essay.
    This time : Yusuke Miyata’s motorcycle trip to the Asian continent.

    Track

    トラック

    宮田裕介◎文・写真

     日の出と共にバイクに跨り、日が沈むまで走り続けた。ハンドルを握る間、何かについて考える時間は山ほどあったが大抵はガソリンの残量や安全に夜を明かす場所の心配に費やされた。眠る場所は毎日様々だったが、日々生じる身体の様々な痛みを誤魔化すため、鎮痛剤を口に含み、冷たいビールが手に入ればそれで流し込むのが習慣になっていた。道中、豊富に手に入る麻薬の類に決して手をつけなかったのは倫理観からではなく、それらが運転中の判断力の妨げになると知っていたからだ。

     私は自ら組み上げたバイクでひたすらアジア大陸を走り続けていた。毎日のように人々の話す言葉やその身を包み衣装は変わっていった。そして人々が信仰する神々の姿もまた。男性の姿。女性の姿。半陰陽の姿。獣の姿。決して形を持たない姿。ヒンドゥー教からイスラムの世界を通り、峻険なヒマラヤ山脈に入ると馴染み深い御仏の世界が現れた。安心するのも束の間、高度は3000m、4000m、そして5000mと彼の富士山の高さを遥かに越え、私たち、つまりは私と、この鉄の相棒から呼吸と体温を奪っていった。私は生来、物や道具に対して無頓着だったが、こんな錆びの回った鉄屑の塊りでも長い旅が続けば愛着も湧いてくる。さすがに名前までは付けなかったが。寒さで指先に感覚がなくなれば、革手袋のまま、熱いエンジンに押し当てて暖を取った。夜は眠る時間を削り、月明かりの下、煤がこびりついたスパークプラグをヤスリや布でピカピカに磨いた。私たちは互いを生かし合っていた。しかしながら信頼と呼べる関係には程遠かった。相棒は必ずと言っていいほど、毎日どこかが壊れた。それは整備を行う私の所為でもあるがその日、走行不能になるような問題が起きなければ、それだけで幸せな1日に感じられた。また相棒の調子が良くても、乗り手である私自身が調子を崩す事も多々あった。そして双方の調子が良い時に限って思わぬトラブルに遭遇するのが旅の常だった。

     そんな事も切り抜け、ひと月が経った頃、私たちは高地特有の黒みを帯びた空の下、人々の生活の痕跡はおろか、一切の生き物の気配すらない砂漠の中にいた。舗装道はおろか、先行者のタイヤの轍すら見当たらない。未体験の景色に胸は大きく高鳴っていた。ギアを蹴り上げアクセルを最大に回し、シートに括り付けた荷物が外れる事も気にせずスピードを上げた。心から自由を感じ思わず叫んでいた。一頻りそれを楽しんだあと、相棒を停め、砂漠に大の字で寝そべり、そして日本から持ち込んだ数も残り少なくなってきた馴染みのタバコに火をつけた。空に大きな雲が浮かんでいる。そしてその雲の影が砂の中をゆっくりと移動して私たちに近づいてくる。目を閉じていても、肌が焼けつくような太陽の感触が治まったことで、その大きな雲の影の中に私たちがいることがわかった。風が相棒と積荷を吹き晒す以外、周囲に一切の音はない。もし誰かが近くを通ってくれたなら水を分けて貰えただろう。もしそれが遊牧民の一家なら今夜はテントに泊めて貰えたかもしれない。そんな事を考えながら私はふと、これからの先行きについて考え始めた。この旅のこと。それから国に帰ってからのこと。一通り考えを巡らせたあと、今のような心地よい感覚が出来るだけ続くことを願った。

     来た方角の山に目をやった。そこから不格好な一本の線がここまで伸びている。無造作だがどこか意味深そうに引かれたその蛇行線は紛れもなく私と相棒が付けた轍だった。私は少年だった頃のことを思い出した。学校を抜け出し、社会のレールを外れ、道路を集団で走り、一端の不良を気取ってみても、結局その道路は大人たちが作ってくれたものだった。ならば大人になった今はどうかと聞かれれば、あまり大差ないのかもしれない。自分の道を歩いてる気もすれば、相変わらず誰かの手の平で踊り続けている気もしないでもない。ひたすらに自由と解放を求めた少年期との違いは、今の私はただ一つの事柄に対してだけそれを求めている。それは作品だ。それはこの名もなき砂漠に私と相棒が引いた一本の轍に似ている。それが他の誰かの轍に囚われてしまわない限り、私の行く先はいつだって自由だ。

    みやた・ゆうすけ
    写真家、音楽クリエイター。群馬県高崎市出身。音楽アーティストを志し、17歳で単身渡米。民族音楽に強い興味を持ち、世界各地を旅する中で写真表現に出会う。
    www.yusukemiyata.com

    Track

    Text & Photo: Yusuke Miyata

     I got on my motorcycle at sunrise and rode until the sun went down. While riding it, I had plenty of time to think about things, but most of it was spent worrying about how much gas I had left and where I could safely spend the night. I slept in different places every day, but to cover the various aches and pains of my body that arose each day, I would take a painkiller in my mouth and wash it down with a cold beer if I could get one. I never touched any of the drugs that were available in abundance on the way to my destination, not because of ethics, but because I knew that they would interfere with my judgment while driving.

     I was riding a motorcycle that I had built myself across the Asian continent. Every day, the language the people spoke and the clothes they wore changed. And the gods they worshipped changed as well. Male figures. Female figures. Half yin and yang figures. The form of a beast. A figure without any figure. After passing through the world of Hinduism and Islam, and entering the steep Himalayas, the familiar world of the Buddha appeared. My relief was short-lived. The altitude rose to 3,000 meters, then 4,000 meters, and then 5,000 meters, far surpassing the height of Mt. Fuji. We, that is, I and my iron partner, were deprived of breath and body heat. I've always been indifferent to things and tools, but even a rusty lump of iron like this could become attached to me after a long journey. I didn’t name it, though. Whenever I lost feeling in my fingertips due to the cold, I would keep my leather gloves on and press them against the hot engine to keep them warm. At night, I cut down on my sleeping hours and polished the sooty spark plugs to a shine with a file and cloth under the moonlight. We kept each other alive. However, our relationship was far from trustworthy. My partner always broke down at some point every day. It was partly my fault for doing the maintenance, but as long as no problem making the motorcycle undrivable that day, it made me happy. And even when my partner was in good shape, there were many times when I, the rider, was not in good shape. And only when both of us were in good shape did we run into unexpected trouble, as was usual on a trip.

     We made it through, and after a month, we found ourselves in the desert under the black sky typical of the highlands, with no signs of life, let alone traces of people. There were no paved roads, not even the wheel tracks of those ahead of us. My heart was pounding with excitement at the sight of something I had never experienced before. I kicked up the gears, turned the gas pedal to the maximum, and sped up, not caring if the luggage strapped to the seat would come off. I felt a sense of freedom in my heart, and I screamed. After enjoying it for a while, I parked my car, lay down in the desert, and lit my favorite cigarette that I had brought with me from Japan, the last of which was running low. There was a large cloud floating in the sky. The shadow of the cloud was moving slowly through the desert, coming closer to us. Even with my eyes closed, the feeling of the sun burning my skin subsided, and I knew that we were in the shadow of that big cloud! There was no sound around us, except for the wind blowing my partner and my luggage around. If someone had walked by, they could have given me some water. If it had been a nomadic family, they might have let me stay in their tent on that night. As I thought about this, I suddenly began to think about my future. About this trip. What would happen after I returned to my country? After giving it all some thought, I hoped that the comfortable feeling I had now would last as long as possible.

     I looked at the mountain ​I had come from. An awkward line stretched from there to here. The casually but somewhat meaningful winding lines were undoubtedly tracks made by my partner and me. It reminded me of when I was a boy. Even though I tried to escape school, get off the predestined track, ride a motorcycle in groups, pretend to be a bad boy. In the end, the road was made by adults. If you were to ask me how I feel now as an adult, I would say that there is not much difference. I feel like I'm walking my way, but I also feel like I still play into someone's hand. Unlike my youth, when I sought freedom and liberation, now I only search it for one thing: my work. It is a work of art. It's like a track that my partner and I have made in this nameless desert. As long as it doesn't get trapped in someone else's tracks, I am always free to go where I want.

    Yusuke Miyata
    Photographer / music creator Born in Takasaki, Gunma prefecture.He went to the U.S. by himself at the age of 17 to become a music artist. With a strong interest in ethnic music, he discovered photographic expression while traveling around the world.
    www.yusukemiyata.com

  • Jeff Ho 伝説のZ-BOYSを作った男
    SURF / SKATE / PEOPLE
    ’60 年代末から’70 年代にかけて、
    サーフィンそしてスケートの世界で革命を起こした、ジェフ・ホー。
    ある小さな偶然が、
    この男と写真家の若者に大きな出会いをもたらした。
    Jeff Ho revolutionized the world of surfing and skating
    in the late ’60s and ’70s.
    One small coincidence led to an encounter
    between this man and a young photographer.

    Jeff Ho

    伝説の Z-BOYS を作った男

    CHAR◎文・写真

     2000 年の冬、僕はハワイ、オアフ島ノースショアでサーフィンとサーフィン撮影に明け暮れて いた。オフの日、友達から借りたサーフボードが調子よく、サーフィンが楽しくってしょうがな かったのを覚えている。
     そのサーフボードはウイングのはいったスワローテールのトライフィン、少し厚めで幅は広く 短いボードだった。多分年代は '70 年代ぐらいのボードで黄ばんだ古臭いずんぐりむっくりなボ ードだったが、小波からサイズのある波までサーフィンできる最高に調子のいいボードだった。 今から思えば最近のデザインのボードとしても通用するサーフボードだった。そんな友達から借 りた大切なサーフボードを僕はインサイドで岩にぶつけてしまったのだ。そのサーフボードの持 ち主はププケアに住んでいるシェイパーと聞き、あやまりに行くために友達に地図を書いてもら い向かった。その当時ノースの山のププケアには広い平屋の家がポツンポツンと建ち、植物がジ ャングルのように生い茂りオールドハワイといった感じの環境のいい素晴らしいところだった。 その一番はずれにシェイプ小屋があった。小屋をノックするとサーフボードをシェイプ中だった のか真っ白に粉まみれの長髪で髭を生やした男と大きな犬が現れた。ただ者ではない雰囲気をし たその男は、ジェフ・ホー(Jeff Ho)さんだった。それが僕とジェフ・ホーさんとの初めての出会いだった。
     '70 年代アメリカ西海岸の「ドッグタウン(DOGTOWN)」を舞台に、スケートボードで革命を 起こした伝説のスケートボードチーム「ゼファー・スケートボード・チーム(Zephyr Skateboard Team)」、「Z ボーイズ(Z-BOYS)」の中心人物の一人であり、「ゼファー・サーフボ ード(Zephyr Surf Board)」 のレジェンドシェイパーのジェフ・ホーさん、もちろんその名前は 聞いたことはあったが詳しいことは全く知らなかった。その頃はまだあの有名な映画 『DOGTOWN & Z-BOYS(ドッグタウン・アンド・Z ボーイズ)』が公開される前だった。僕は サーフボードを壊したことを素直にはなして謝罪した。怒られることを覚悟して、いくらか弁償 しなければならないだろうと思っていた。しかしジェフさんは僕がカメラマンだと知ると、弁償 の代わりに自分のサーフィンを水中撮影しろと言ってきた。信じられないがそれで許してやるということであった。

    丁寧にシェイプしサーフボードに魂を吹き込むジェフ・ホー

     ワイメアのインサイドピンボールでジェフさんのサーフィン撮影をして、フィルムを現像に出 し、一緒にメキシカンフードを食べ、ビリーヤードをやりながらサーフィン、スケート、仕事、人生、 いろんな話をしたのをを覚えている。とにかく自分を信じて、好きなことをとことんやれと教えてもらった。その当時ノースでは、フィルムを現像に出して仕上がり手に届くまで 1 週間かかっていた。その1週間の間、ロッキーやパイプラインなどノースショアのポイントで撮影をした。どのポイントでもジェフさんは一番沖で波を待ち、一番大きな波を狙っていた。ボトムで水面に手が触れるほどしゃがみ込み、アグレッシブにうごくジェフさんはかっこよくて、その姿はまさに Z ボーイズだった。

    映画『DOGTOWN & Z-BOYS』の1コマ。ジェフ・ホーが作った世界 Photofest/A.o

     「チャー! シェイプの写真を撮影してくれないか。そしてこのシェイプ小屋の写真も撮影してくれないか。いずれこの小屋もなくなるからな…」と大声で笑いながらジェフさんは言った。 僕にとって願ってもない撮影依頼だった。報酬はいくらだと聞いてきたが、僕は「お金はいらない、 逆に払うのでサーフボードがほしい」と言うと笑いながら「OK」と言ってくれた。僕からすれば写真を撮影させてもらって、サーフボードまでシェイプしてもらえるなんて夢のような話だった。僕みたいな若造のカメラマンを一人前として認めてくれて、ギブアンドテイクの精神で接し てくれて、なんて懐の深い人だと思った。
     シェイプ小屋の中は物が散乱していたが、必要なものはすべて手の届くところにあるシェイプ ルームだった。昔にシェイプした年代物のサーフボードから最近シェイプしたものまであり、一 本ずつ見せて説明してくれた。エフカイビーチでサーフィンするような短いサーフボードからワ イメア用の長いガンまでそろっており、ここでシェイプしテストライドしてサーフボードを進化 させているのであった。常に何か新しいことに挑戦しているようだった。ジェフさん自身用と見 せてくれたサンセット用のガンは、長く重たくシャープでエアーブラシされたサーフボードはそ れだけで存在感があった。まさに "JEFF HO" の魂だった。フォームを取り出しメジャーで計り、 おもむろにノコギリで切り始めた。一度シェイプが始まると神がかったように集中し、僕は全く 声をかけられなかった。それはまるでサーフボードにジェフさんの息遣い、魂を吹き込む、そん な作業であった。僕も撮影に集中して何時間たっただろうか、一気にサーフボード一本をシェイ プして仕上げた。この大量生産大量消費の時代に、逆行するようにハンドシェイプで仕上げるサ ーフボードは唯一無二であった。
     今もジェフさんとは連絡を取りあいながら、ジェフさんのアートブックのプロジェクトを一緒 にすすめている。いつできあがるのかわからないがまちどうしい。仕事に対するプライドや情熱、 人生で大切なこと、いろんなことを僕に教えてくれるジェフさんは、僕にとって先生みたいな存 在である。目に見えない物に価値を置き、神秘的でそれと同時に心の深いジェフさんは今もなお、 僕を魅了してやまない。

    日が傾く頃、常連が集まってくるヴェニスのスケートパーク、ジェフ・ホーのいつもの風景

    CHAR
    写真家。万物に宿る魂、内側に存在する普遍的なものを独自の視点で捉え、ドキュメントを始め枠を超えた様々な分野で活動している。自然と共存し捉えた光は、力強く生命の輝きにあふれている。www.charfilm.com

    Jeff Ho

    Text & Photos: CHAR

     In the winter of 2000, I was spending all my time surfing and filming on the North Shore of Oahu, Hawaii. On my off days, I borrowed a surfboard from a friend and was having a great time surfing. The surfboard was a winged, swallow-tailed, tri-fin. Slightly thicker, wider, and shorter board.
    The board was probably from the '70s, yellowed, old, and stocky, but it was a great board for surfing small to large waves. Looking back on it now, it was a surfboard that could be considered a modern design. I borrowed it from a friend and smashed it against a rock on the beach. I heard that the owner of the surfboard was a shaper who lived in Pupukea, so I asked my friend to draw me a map to visit him and apologize. At that time, Pupukea on Oʻahu's North Shore was a wonderful place where there were a few spacious one-story houses, and plants were growing like a jungle, just like old Hawaii. There was a shaping shack at the far end. I knocked on the door and a man with long white powdery hair and a beard, also a big dog appeared. Probably he was shaping a surfboard. The man, who gave off an unusual vibe, was Jeff Ho. That was my first encounter with Jeff Ho.

    Carefully shaping and breathing soul into a surfboard

     Jeff Ho, the legendary shaper of Zephyr Surfboard and one of the core members of Z-Boys, the legendary skateboard team that revolutionized skateboarding in Dogtown on the west coast of the United States in the 1970s. I had heard of his name “Jeff Ho”, but I didn't know anything about him. It was before the famous movie “Dogtown & Z-Boys” was shown. I honestly told him what I did, and apologized for breaking his surfboard. I was ready to be told off and I thought I would have to pay some money for it. But when Jeff found out that I was a photographer, he offered to take underwater photos of him surfing instead of compensation. I couldn't believe it, but he said he would forgive me.

     I remember shooting Jeff's surfing at Inside Pinball in Waimea, getting the film developed, eating Mexican food together, and talking about surfing, skating, work, life, and more while playing billiards. He taught me to believe in myself and to do whatever I want. At that time in North Shore, it took a week to get the film developed. During the week, I took photos of him at Rocky, Pipeline, and other points on the North Shore. At every point, Jeff waited for the biggest wave offshore and tried to get the biggest wave he could. Jeff was so cool as he crouched down on the board and aggressively surf, just like the Z boys.

    scene from the film "Dogtown & Z-Boys. The world created by Jeff Ho  Photofest/Aflo

     "Char! Can you take some pictures of me shaping? Also, this shack? This shack will be gone sooner or later..." Jeff said, laughing out loud. It was the best thing that could have happened to me. He asked me how much I'd be paid, but I told him I didn't want any money. I said I’d rather pay for the surfboard he shaped. He laughed and said “All righty!” From my point of view, it was like a dream to be allowed to take pictures and even to have my surfboard shaped. He accepted a young photographer like me as one of his own, and treated me with a spirit of give-and-take. The inside of the shack was a mess of stuff, but the room had everything he needed within easy reach. There were vintage surfboards from the past as well as recently shaped ones, and he showed and explained each one. He had everything from short surfboards for surfing at Ehukai Beach to long ones (aka guns) for Waimea. He had shaped, tested ride, and evolved his surfboards. It seemed like he was always trying something new.
    The Sunset Gun Jeff showed me was for himself, a long, heavy, sharp, airbrushed surfboard with presence. It was the very soul of "Jeff Ho". He took out a form, measured it, and began to cut it with a saw. Once he started shaping, he concentrated as if he was possessed by the supernatural, so that I couldn't speak to him at all. It was like breathing Jeff's breath and soul into the surfboard. I was so focused on the shoot that I didn't realize how many hours had passed. He shaped and finished one surfboard at a stretch. In this age of mass production and mass consumption, a hand-shaped surfboard was a one and only product.

    I am still in touch with Jeff and we are working together on his art book project. I'm not sure when it will be ready, but I'm looking forward to it. Jeff is like a teacher to me, teaching me pride and passion in my work, the important things in my life, and many other things. Jeff, who values the invisible, is mysterious and at the same time broad-minded. He has very much fascinated me since I met him.

    A usual scene of Jeff Ho, at a skate park in Venice, where regulars gather as the sun goes down.

    Char
    Photographer. He captures the soul that dwells in all things and the universality that exists within with his unique perspective and is active in a variety of fields beyond the realm of documentaries. The light he captures while coexisting with nature is powerful and full of the radiance of life.
    www.charfilm.com

  • A Trip to the Unexplored Marquesas Islands 秘境マルケサスへの旅
    TRIP
    写真家・佐藤秀明が南太平洋の彼方へ旅立った。
    目的地は、マルケサス諸島。
    時代を超えて、ポリネシアンカルチャーがいまだに息づく島々で
    出合ったものとは。
    The photographer Hideaki Sato left for the far reaches of the South Pacific.
    His destination was the Marquesas Islands.
    What did he encounter on the islands where Polynesian culture is still alive?

    A Trip to the
    Unexplored Marquesas Islands

    秘境マルケサスへの旅

    佐藤秀明◎文・写真

     南太平洋の写真を撮っていた1980年代、マルケサス諸島については、全く想像もつかない南太平洋の遥か遠い海に浮かぶ島でしかなかった。たしか、昔読んだ冒険小説の中にマルキーズ諸島という名が載っていたという記憶があるだけだった。正確にはタヒチの北東、1500キロに位置し、14の島々からなり、紀元500年くらいに、アジアのどこからか大海原を越えてやってきた人たちが、タヒチやマルケサスからハワイやイースター島へ渡っていったとされ、ポリネシアの分岐点であると言われている島なのだ。そんな未知の島へ、1995年、ポリネシア考古学の第一人者で、ホノルルのビショップ博物館でポリネシアの調査研究に携わってこられた、故・篠遠喜彦さんがハワイアンに向けて企画した「ふるさと、マルケサスをたずねてみよう」という総勢70人のツアーがあるので「参加してみませんか」という誘いを受け、ツアーに参加させてもらったのである。参加者のほとんどがハワイアンで、全員が熱烈な篠遠フアンだということだった。メンバーの中には、ハワイの古い武術を復活させようと活動中の、パ・クイ・ア・ルア(Kapu Kuʻialua)のグループやフラダンスチームもいて、ぼくにとっては貴重な体験になるだろうことを予感させるのだった。わずか4千トン足らずの貨客船アラヌイ号の旅というのも楽しみだった。タヒチのパペーテを出港した船はマルケサス諸島を目指し、2週間でマルケサスの島々を巡ってくるという旅だ。客は僕たちの他に島々へ日用品などを売りに行く商人なども乗船していてなかなか楽しい船旅なのである。篠遠さんが発掘調査で最初にマルケサスを訪れたのは1963年のことだ。それから1968年までの間に何度も訪れていることから、島の人々からも大変慕われている。タヒチではタオテ(ドクター)シノト、という音楽まである南太平洋の人気者なのだ。目的地のマルケサスまでは笑いの絶えない船旅だった。

     船は最初の寄港地ウアポー島で朝を迎えた。桟橋がないので昨夜から沖合に停泊していたようだ。早朝、甲板に出た時にはすでに全員が島を呆然と見つめていた。想像していた南の島とはまるで風景が違うのだ。南海の定番、コバルトブルーのサンゴ礁が見当たらない。見上げるように立ちはだかる、切り立った山とココナツやしの原生林に圧倒されながら眺める。地球形成上から見てもまだ新しい島なのだ。人の気配が全く感じられない陰鬱な浜の奥から立ち上る一本の煙は空気も動かぬほどの静寂を物語っていたし、山にかぶさる雲の隙間から差し込むわずかな光が波と砂を照らしてさらに静けさを誘っていた。あれほど騒がしかったハワイアンたちが口を閉じたまま無言で見つめている光景に、過ぎ去った遠いふるさとを想う気持ちが伝わってくる。

     島々での歓迎は温かいものだった。険しい山からなる島々の交通手段は馬ということが多く、遠くから馬で駆けつけた、発掘を手伝った人たちが篠遠さんの手を握って話さない。次に向かったファツヒバ島のオモア村の歓迎式も印象深いものだった。法螺貝を吹きながら我々を迎える村の長老達に向かって、ハワイアンの代表が贈り物を抱えながら地面を這ってゆくというポリネシアのやり方である。そこで見たものは、異なる地域に住むポリネシアンが昔からやってきた互いに行き来する文化そのものだ。

     島々の奥へ分け入ってみると、森の中には遺跡や偶像が散在する。古代ポリネシアの人々の暮らしが手に届くような場所にあったような気がしてくるではないか。そんな風景の中にいると、小説『白鯨』の作者、ハーマン・メルビルが、働いていた捕鯨船から脱走してヌクヒバ島を彷徨って、食人の噂があったタイピー族に捕まるという話が現実味を帯びてくる。そんな体験話の『タイピー』という小説ががメルビルの出世作だということをマルケサスで知る。
     ヒバオア島ではハカウイの谷を篠遠さんと二人で歩く機会があった。小さな川の流れに沿って奥へ入ってゆくと谷は狭まり切り立った崖が小川を包み込む。そこには手つかずの自然があり、空を覆う椰子の葉が光を遮ってまるで大きな洞窟の中にいるようだった。しばらくして篠遠さんは「サトウさん、もしこの島へ初めてたどり着いたとしたらどうします」と語りかけてきた。僕は目の前に立ちはだかる崖の窪んだ場所に目をやり「まずあそこに寝床をこしらえますね」と答えると「そうです昔ここへやってきた人達もそうしたことでしょう」。尽きることのないポリネシアの話を伺いながら海辺に戻ると一羽のトロピカルバードが僕たちの頭上を飛んでいた。そんな鳥をまぶしそうに目で追いながら「海原を超えて飛んでゆく鳥を見て、自分たちも行ってみようと昔の人たちも思ったんですね」と、ロマンチストの篠遠さん。発掘した昔の釣り針を通して古代ポリネシアの研究をされていただけあって話が面白くて飽きないのである。
     このヒバオア島ではゴーギャンの足跡に出会うことができた。彼はタヒチで10年過ごした後、俗化したタヒチを捨てて2年間をここヒバオアで暮らして死を迎えたのだ。海を見下ろすことのできる丘の大きなプルメリアの木の脇に墓があり、墓石の上の落花したプルメリアの花が、まるで誰かが手向けたように乗っていた。

    さとう・ひであき
    写真家。1943年生まれ。1967年より'69年まで3年間ニューヨークに在住。1970年代前半からはハワイに滞在、サーフィン雑誌を中心に活躍。その後、北極、アラスカ、チベットなど辺境を中心に勢力的に撮影活動を続ける。写真集も多数発刊

    A Trip to the
    Unexplored Marquesas Islands

    Text & Photos: Hideaki Sato

     In the 1980s, when I was photographing the South Pacific, the Marquesas Islands were nothing but islands in the far off waters of the South Pacific that I could never imagine. I only remembered that the name Marquesas Islands was mentioned in an adventure novel I read a long time ago. To be precise, this islands group lies about 1500 km northeast of Tahiti and consists of 14 islands. It is believed that people from across the ocean from somewhere in Asia crossed over from Tahiti and the Marquesas to Hawaii and Easter Island in about 500 A.D. It is said to be the fork of Polynesia. In 1995, the late Yoshihiko Shinoto, a leading authority on Polynesian archaeology and a former researcher on Polynesia at the Bishop Museum in Honolulu, organized a tour for 70 Hawaiians called "Let's Visit Home, the Marquesas!” And, I was invited to join the tour by him. Most of the participants were Hawaiians and all of them were ardent Shinoto’s fans. Among the members were the Kapu Kuʻialua group, who are working to revive an old Hawaiian martial art, and a hula dance team, and I had a feeling that this would be a valuable experience for me. I was also looking forward to traveling on the Alanui, a cargo-passenger ship of fewer than 4,000 tons. The ship left Papeete, Tahiti, for the Marquesas Islands, a trip that would take two weeks to tour the islands of the Marquesas. Also, there were other passengers on board, such as merchants who were selling daily necessities to the islands. It made the voyage more interesting. Mr. Shinoto first visited the Marquesas for excavation in 1963. Since then, he had visited there many times until 1968 and been very much loved by the islanders. He was a popular figure in the South Pacific, and there even existed a piece of music called "Taote (Doctor) Sinoto" in Tahiti. The voyage to our destination in the Marquesas was full of laughter.

     The ship arrived in the morning at our first port of call, Ua Pou Island. It seemed that the ship had been anchored offshore since last night because there was no pier. Early in the morning, when we stepped out on the deck, everyone was already staring at the island in amazement. The scenery was so different from the southern island we had imagined. The cobalt blue coral reefs, a staple of the South Seas, were nowhere to be found. We gazed up at the sheer mountains and primeval coconut palm forests. This is still a new island in terms of the formation of the earth.A wisp of smoke rising from the depths of the gloomy beach, where there was no sign of life at all, spoke of silence so still that even the air did not move. And a little light shining through the gaps in the clouds over the mountains illuminated the waves and sand, inviting even more silence. The scene of the Hawaiians, who had been so noisy, staring in silence with their mouths closed, conveyed their feelings for their distant hometown that had passed away.

     The welcome he received on the islands was warm. The islands are made up of steep mountains, and horses are often the only means of transportation, so the people who came from far away on horseback to help with the excavation held Mr. Shinoto's hands and didn’t let go.Our next stop was the village of Omoa on Fatu Hiva Island, where the welcome ceremony was also impressive. In the Polynesian way, Hawaiian representatives crawled along the ground carrying gifts to the village elders who welcomed us with blowing conch shells. What we saw there was the very culture of Polynesians from different regions coming and going from the past.

     As we penetrated deeper into the islands, we found ruins and idols scattered throughout the forest. It made us feel as if the lives of the ancient Polynesians were within easy reach. In such a landscape, the story of Herman Melville, the author of the novel "The White Whale," who escaped from the whaling ship he was working on and wandered around the island of Nuku Hiva, only to be captured by the Typee tribe, who were rumored to be cannibals, was becoming a reality. In the Marquesas, I learned that Melville's novel Typee which told the story of such an experience, was his first novel.

     On Hiva Oa Island, I had an opportunity to walk through the Hakaui valley with Mr. Shinoto. As we walked deeper into the valley along a small river, the valley narrowed and steep cliffs surrounded the stream. The palm leaves covering the sky blocked out the light, making it seem as if we were in a large cave. After a while, Mr. Shinoto asked me, "Mr. Sato, what would you do if you were to arrive on this island for the first time?” I looked at the hollow of the cliff in front of me and replied, "I would make a bed there first," to which he replied, "Yes, that is what the people who came here in the past would have done. As we returned to the beach, listening to the endless stories of Polynesia, a tropical bird flew over our heads. As we followed the bird with glaring eyes, the romantic Mr. Shinoto said, "Seeing the bird flying across the ocean, people in the past must have thought that they should go there too.” He had been researching ancient Polynesia through the old fishing hooks he had excavated, and his stories were interesting and I never got tired of it.

     On this island of Hiva Oa, I was able to see the footsteps of Gauguin. After spending ten years in Tahiti, he abandoned the secularized Tahiti and spent two years living and dying here in Hiva Oa. His grave was beside a large plumeria tree on a hill overlooking the ocean, with fallen plumeria flowers on the headstone as if someone had given them to him.

    Hideaki Sato
    Photographer. Born in 1943. He lived in New York for three years from 1967 to 1969, and stayed in Hawaii in the early 1970s, working mainly for a surfing magazine. Since then, he has been active in photographing the Arctic, Alaska, Tibet, and other remote areas. He has published many photo books.